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6.11 スリルとサスペンスを感ず

 投稿者:小林卓頌  投稿日:2011年 6月16日(木)18時07分47秒
返信・引用
  昨年オーストラリアに行った時お世話になったサザンクロス大学のマクラレン先生が引率してア・カペラのグループ(サザンクロス大学OB)12人が6月3日来日し、東北震災のチャリテイーを主目的に日本各地をコンサートで回っている。僕は10日京都へ案内し(夕食)、11日朝彼らが福岡へ行くために、枚方の関西外国語大学(宿泊)から新大阪までエスコートした。全員無事新幹線のシートに座れて、See you againで別れた。
僕は新幹線から東海道線下り(在来線)へ乗るため、の大阪寄りの階段を下りてホームで電車を待った。僕は先生からもらったマガジンなどを見ていた時、このアクシデントが起こった。

ホームの人たちが危ない!とかキャーとか騒ぎ始めた。僕はそちらを向くと人が線路に落ちてホームに上がろうとしているところだった。僕は直ぐそこへ走り、ホームからもう一人の人と落ちた人の手を掴み持ち上げようとした。結構重いので1~2秒では上がらない。僕はその時電車が入ってくる方向に背を向けていたので、電車が入って来たことを知らなかった。(もう一人の手を貸してくれた人は電車が見えていた。)
周りの人の声は悲鳴と絶叫であふれた時、ものすごい緊急警報と急ブレーキで電車が停止した。その時僕はあまりの大きな警報のため、体が硬直して頭が真っ白になったようで、何も考えられない状態だった。それから駅員が来て落ちた人を引き上げ、線路に散らばった荷物を拾ってくれた。落ちた人はかなり目が悪く旅行の時は白杖を持たなければならないほどだったが、今までこのようなことは無かったのでーーーとの事だった。脚や腕から少し血が出ていたが、救急車を呼ばなくてもよいとの事、僕はその人の知り合いと思われたが、全く関係ないと説明し、その電車は10分遅れで出発した。(僕にとっては最大のスリル?だった。)

僕はその落ちた男〔50歳代と思う)がどこへ行くかを聞き、大阪駅へ一緒に電車に乗った。電車の中でそいつといろいろ話をした。そいつは愛媛県の??中央駅から来て、これからトワイライトエクスプレスで札幌へ行くとの事。札幌に誰か知り合いでもいるのか?と聞くとこのトワイライトエクスプレスが乗りたいとの事。そいつの脚からまだ血が出ていたので拭いてやった時、僕は初めて気がついた。そいつはひだのあるスカートをはいているではないか!ぼくのYシャツにもあちこち血がついていたのでそれを拭きながらーーー。「待てよこいつ何か変なやつだなと思った。」
大阪駅でトワイライトエクスプレスのとまっている10番ホームに行き、そのスカート男のチケットを出させた時、バッグが上下反対になっているのが分からず、目をバッグに擦り付けるようにしてチャックを探している様子を見て、「これは相当目が悪いぞ」と思った。
5号車の12番、その場所へ連れて行った。個室になっていて中央にテーブルと前後に椅子があり、上に寝台用の毛布があった。僕は最近寝台車なんて乗ったことが無いので、(この部屋がこのスカート男と全く似合わない)乗務員を呼び確認した。間違えなかった。
僕は乗務員に先ほど新大阪で起こったことを説明し、途中頭、あるいは足腰が痛くなったら、よろしく面倒見てくれよ!と話した。乗務員は「救急車で見てもらたほうがよい」と盛んにリスク回避していたが、本人が大丈夫ということで出発することになった。当日は雨模様でトワイライトは楽しめないと思うがーーー。
50代のスカート男が一人で札幌までトワイライトの雰囲気を期待して旅をするということは僕にとってはミステリーでサスペンス感を大いに感じられる。あの男夜行で行って無事に夜行で帰ったのかなーーー。

9.11, 3.11,その日は世界の誰も忘れられない悪夢だ。僕にとってはこの6.11が忘れられない日となるだろう。もしあの電車が止まらなかったらーー。---多分僕はあのスカート男の手を放していたかな?---。雨の日にあの瞬間の出来事を思い出しながら汗を掻いている今日この頃です。



 
 

山形紀夫君からの書き込み

 投稿者:石川 公洋  投稿日:2011年 4月27日(水)18時20分22秒
返信・引用
  石川様
いつも情報有り難うございます。小林君の掲示板に書き込みはしませんが、
私の所属する「日本ミニテニス協会」は仙台市に大きな協会が存在します。
その中に「荒浜クラブ」という団体があり、今回の東日本大震災で27名全員が
壊滅的な被害を受けて住宅や全財産を流されました。
今避難所暮らしです。幸い人的被害は有りませんでした。
11日の地震後東北、北海道の団体にメールや携帯が通じない中、
電話がやっと通じて安否の問い合わせをして、14日朝にやっと
仙台市協会の会長に電話が通じ、この事を知らされました。
日本協会としては、やはり仲間を迅速に少しでも支援したいと考えて
理事長とはかり全国の加盟団体に仙台市協会の荒浜クラブへの支援、
義援金を呼びかけました。
現在200万円以上の義援金が仙台市協会に届いています。
私も理事長と18日、19日に仲間の慰問に行きました。
TVで見るのと違い九死に一生を得た仲間の話を聞き現場も案内されてその思いが
強くなりました。全国の仲間により一層の支援を呼びかけています。
しかしこの事に批判も浴びています。なぜ仙台だけなのか?仲間だけなのかと!
私もこれを決断するまでには、悩みました。
九州宮崎の仲間が口蹄疫や鳥インフルエンザに苦しんでいるときは、何もできずに
おりました。今なぜ仙台なのかとの思いが大きくありました。
できることからやるのだ。また、TVで放映している広告で「心は見えないが、心遣いは誰にも見える。思いは見えないが思いやりは見える」の言葉に励まされて自分に
出来る事だけでもと頑張っています。
昨日も埼玉県の仲間から預かった義援金20万円を仙田市協会の振り込みました。
今日も所沢市の仲間から義援金を私の預かる協会の口座に振り込んだので宜しくと、また、山形ガンバレとエールのメールもありました。
この歳では、現場でボランティア等の力仕事は出来ませんし、また足でまといになります。
年金生活ですが小遣いを削って支援していくつもりです。
愚痴になりました。人に話せる事ではないので読み流して下さい。やまがた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
  山 形 紀 男
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

添付写真は私石川が掲載させていただきました。
花名:アリウム(葱の花・ネギ坊主) 花言葉:「くじけない心」
 

がんばっぺ日本

 投稿者:小林卓頌  投稿日:2011年 4月19日(火)16時48分47秒
返信・引用
  「菜の花畑に入日薄れ 見渡すーー」僕はこの朧月の歌もこの季節も大好きです。
あの3月11日が無ければ東北地方はこんなのんびりした背景と生活が続いていたことだろう。
僕が思う東北人のキャラクターは、誠実、優しくて親切、口下手で我慢強い、酒が強く涙もろいといったところ。関西には東北出身者は少なく、僕の知っている数人とも、ほとんどこのキャラが当てはまります。僕自身も客観的に見てそれに近い。(酒に弱いがーー)

大震災直後の各国のメデイアは膨大な瓦礫をバックに雪粉の舞う中、1個のおにぎりと水をもらうために並んで待つ被災者を映し出し、日本への同情とともに日本人の「秩序ある行動」を驚嘆の意を表し報じていた。
このような大惨事の時、外国では暴動や略奪が起こりがちなのに、「日本人は全くそのような事はなく、我慢強く並んで待つ日本人を見て、外国人に感動を与えた」と、NYタイムズ、BBC,僕のミュンヘンの友達もTELでそのことを伝えてきた。これは東北人だからということでなく、日本人なら当然同じ様な行動だったろうと僕は思うし、日本人のクオリテイーの高さだと自慢している。

「なせばなる、なさねばーーー」の名言を残した米沢藩主、上杉鷹山(米沢生まれでなく、日向の高鍋藩主の次男で9歳で養子となった)と「雨にも負けず、風にもーーー」の宮崎賢二は僕の中では東北人のDNAの源となっているように思う。僕はこの2人は東北代表ーーーいや日本代表として最も尊敬するとともに、僕が行動規範としている人物でもある。

先日16日〔土)夜、NHKで「究極の選択」としてあの白熱教室のマイケル・サンデル教授が、
日米中の若者のデベイト式の特別講義の放映を興味深く拝見した。
テーマ1.は現在地球的問題となっている福島原発に鑑み、我々は次の2つのシナリオの内、
どちらを選択するか?

① 安全面を高めリスクを小さくして今後も原発を使用してゆく。
② 生活レベルを落としてでも原子力依存を無くしてゆく。

私は②を選択すべきと思っています。現在原発は日本でも57基(?)あり、世界では数百基もあり、今後開発途上国も設置してゆけば地球上に何千基もなり、いくら平和利用だからといっても必ずトラブルが発生し地球が滅びることになる。あれだけ安全を期して飛んでいる飛行機でも必ず事故があり、飛行機事故と原発事故は比較にならない。

世界の科学者は現有の火力、水力、風力、地熱利用、太陽光、などより、原発に代わる経済的でクリーンなエネルギーを早急に開発すべきと思う。〔いずれ可能と思うが)日本が出来たら今回の事故が生きたことになる。

今日は雨でテニスが出来なかったので、僕の思いつくままを書いてみました。
「がんばっぺ日本」皆さんの意見近況を聞かせてください。

               大阪の小林
 

東日本大震災

 投稿者:石川 公洋  投稿日:2011年 4月 3日(日)19時06分52秒
返信・引用
  (無題) 投稿者:石川 公洋(ともひろ)  投稿日:2011年 3月20日(日)07時23分41秒  返信・引用
   石川君
大門君
金子君
大竹君

このたびの東北関東大震災に際し皆さんはお元気のことと思い
ますが、ファミリーや親戚で何か被害にあいませんでしたか?

関西にいると東北出身の人が少ないせいか、悲惨な状況をテレ
ビで見ているだけで、個人で具体的な行動をしようとする話を
聞きません。(阪神大震災では救援に行ったのですが)

今回は地震というよりも津波ですね。1週間たってもまだ家族
の消息も不明な人が何万人もいて、避難している人が数十万人
もいて、寒い中食べるものも不十分で、動こうとしてもガソリ
ンが無い、などテレビで見ているだけで何もできず、胸が痛い
です。

加えて原発のトラブルが厄介ですね。
「想定外の大地震だから」は理由にならないですよ、電源や制
御のバックアップを2重,3重に持つことは当然のことで
専門の金子君などはどう思いますか?

しかし神戸が復興したように、東北も必ず復興しますよ。
方丈記にあるように800年前京都町中だけで2ヶ月で25000人
の餓死者を数えた坊さんもいたくらい悲惨な時もあったそうだ
し、今でもアフリカ難民、北朝鮮人民や終戦後の我々の子供の
ころだって結構悲惨だったと思うよ。
だから被災された若い人や子供達は、これを試練だと思い、難
関を突破すれば、へなへな人間でなく、一回り大きな人間にな
ると思うよ。

地震があった次の日、ミュンヘンと上海の友達からTELがあり
、また6年前に行ったカナダと昨年行ったオーストラリア
の友人からもメールで安否確認、お見舞い、激励などの言葉を
もらいました。胸が熱くなりました。

僕は今月30日で70歳になります。気持ちは-20歳だからやっと50
歳です。雨天でない午前中はテニス、火、水、木は
50パーセント仕事です。他に読書、国際交流協会の手伝い、旅
行、デートなど、何事もボケ防止になります。
今マレーシアのリゾートホテルへテニスに行く計画を立ててい
ます。また友達の都合によりミュンヘンとイスタンブール
へ行く予定にしています。
こんど皆さんと上海でも行きませんか?
皆さんの生きている声を聞かしてください。
よろしく。
               小林卓頌


 

大震災その後 Ⅲ

 投稿者:印南龍夫メール  投稿日:2011年 4月 2日(土)10時58分27秒
返信・引用 編集済
 


 最大の被災地のその後は、ニュースでご覧の通りですが、当方は殆ど落ち着きを取り戻し正常化しました。交通機関の復旧も不十分ながら整い、ガソリンもほぼ正常化しました。
気がかりは原発事故による放射線害と続いている余震です。

 今日のニュースでご承知の通り今次の大震災の正式呼称も「東日本大震災」と決定しました。日本中がこの震災の復旧・復興に向かって心を一つにして立ち向かって行けることを強く願っています。

 さて、小生の現況を簡単にお知らせします。皆さんの生活ぶりもお知らせいただければ幸いです。

 定年後’2008年まで第2、第3、第4の職場でアルバイトをして過ごしましたが、年齢を考慮して満68歳を機に完全撤退して、まさに晴耕雨読の年金生活をしています。

現在は仕事柄覚えた建築・木工技術を活かして家の付属普請や、家内の実家の畑を借りて、蕎麦の栽培、収穫できた玄蕎麦を自家製粉して手打ち蕎麦を楽しんでいます。
蕎麦打ちや製粉などを行う作業小屋(7.5坪)も自前で建てました。勿論蕎麦は土地を選びますので、故郷の那須産とは比べものにならないほど味が落ちます。 しかし気のせいでしょうか、何故か非常に美味です。

 製粉用の機械は、回転数の低い発熱の少ない市販品を買いましたが、これを改造して自動篩(粉の粒度を選別する道具、蕎麦は50~60メッシュ位)を自作、装着し、、玄蕎麦の選別用唐箕(とうみ・・・昔は手回しの大きな扇風機様の送風選別機)を自作したりして楽しんでいます。
手打ちの腕前はまだまだと思いますが、二八まではマスターしたつもりです。
(若干自慢気味で恐縮)


 

大震災その後 Ⅱ

 投稿者:印南龍夫メール  投稿日:2011年 3月28日(月)10時31分46秒
返信・引用 編集済
   交通機関のうち常磐道は水戸以北が不通であったが、漸くいわき中央ICまで復旧。
しかしそれ以北は原発事故の立ち入り禁止区域のため依然として未復旧。
JR常磐線は上野ー土浦間は復旧したものの、それ以北は復旧の目処立たず。
従って、当水戸へは高速バスのみの往来となっている。
例年であれば水戸偕楽園の梅祭りで一番の賑わいの時期であったのに観光事業も大打撃であった。とか

 さて、小生の身近な出来事を1~2お知らせします。

 福島県南相馬市(旧原町市・・「相馬野馬追い」で知られています。)は原発から25Kmの地点にあり,各自屋内避難が勧告されています。
小生が嘗て勤務したところですが、そこに住んでいる知人は、屋内退避に限界を感じ遠く山梨県南アルプス市の実家迄退避したそうです。
途中燃料の補給と道路の寸断などで那須で一泊、2日がかりで到着した旨連絡が来ました。

更に嘗ての部下の実家が津波で流されたとか、他の人からは奥さんが津波に呑まれて不明とか、
心痛む連絡が入っています。
地震・津波・原発事故・避難生活の限界など3重、4重の困難が続いています。他人事とはとても思えず、如何ともし難く隔靴掻痒の思いです。

 今回の震災の呼称がまちまちである事に気づいておられる諸兄もいることでしょう。
東北・関東大震災、東日本大震災、東北太平洋沖地震(これは政府の地震に対する正式呼称)など各報道機関により異なっています。
夫々の理由付けによっていることは理解するものの、早く統一した呼称にして一つの大きな目標
に向かうべく意を用いるべきです。
 そこで、小生は政府機関へこの件を提案しました。総理府、総務省、国土交通省、内閣官房へメールを送信しています。提案受領、検討する旨の回答は来ましたが、さてどうなるでしょう?
 普段から政府(総理官邸)へは、国民の一人として拙い意見を具申していましたので、今回も提案を試みました。(笑止々々)

http://

 

小林 卓頌Part2

 投稿者:石川 公洋  投稿日:2011年 3月28日(月)06時12分33秒
返信・引用 編集済
  石川君

いつもいろいろと連絡ツールを構築してもらって有難うござい
ます。私の実家は今は、弟ファミリーと老人ホームに入ってい
る母親とも益子町にいて、幸い無事で、屋根の一部と棚から家
具が落ちた程度ですみました。TEL連絡ばかりでお見舞いにも
行っていません。私の都合で行くときだけ寄る程度にしていま
す。〔母親が完全にボケてしまって、弟も僕も分からないので
、行っても張り合いがありません。)

君のこのメールの最後に書いてあるとおりです。10年、20年か
かるかも知れないが、M9がもう一度来ても何の被害が出ない
生活環境を考えた「未来の町」を作って見せることが、世界の
人々への恩返しになると思います。
ではまた。
             小林


--- 石川 公洋

> 小林 卓頌 君
>
> おはようございます。
> 故郷から遠く離れて生活していてやきもきしておられること
と推察いたします。
> 貴兄のご兄弟、ご両親等、如何なさっておるのでしょう?
> 芳賀町界隈の高根沢町、喜連川、矢板地区、今でも断水続い
ているところも
> あるようです。
>
> http://www.town.haga.tochigi.jp/(芳賀町役場のホームペ
ージ)
>
> 気持ちを強く持って、ひとに思いやりと優しさを、励ましあ
い、声掛け合って
> 皆でこの苦境を乗り切って行きましょう。
>
> *************************
> 石川 公洋(ともひろ)

> *************************
 

巨大地震-- Part Ⅱ

 投稿者:飯島 孝雄  投稿日:2011年 3月27日(日)18時13分9秒
返信・引用
   3月22日付け、初投稿の「巨大地震」は、石川公洋先生に
教わっている パソコン教室での授業時間が終わってしまい
文章が・・・・ と切れてしまったので、改めて Part Ⅱとし
て追加します。

 我が家の倒れた 3個の石灯籠は、一人では直せないので
息子が来たときと考えていたら、23日 陽西中のクラスメイト
が たまたま顔を出したので、手伝ってもらって やっと元通
りなりました。
多分、40㎏ぐらいと思うけど、顔の高さまで持ち上げるのは
危険で大変でした。そしてその夜は、腰が ズシーンとした
痛みを感じ 70才の年齢を実感した次第です。無理はできま
せんね。

 今回の地震で思い出した一つは、8年前の職場の避難訓練
で、消防署から来た「人工地震体験車輌」を思い出したこと
です。そこで、震度7を体験させてもらい びっくり!!
まさか、宇都宮では現実には起こらないだろうと思っていた
ところ 震度6強、ほぼ同程度で 現実の恐怖の体験となりま
した。 近況 お知らせまで。
 

吉岡紘一郎君 矢板市断水

 投稿者:石川 公洋  投稿日:2011年 3月27日(日)09時33分53秒
返信・引用
  本日吉岡紘一郎君へ電話しました。 矢板市全域で断水とのこと。今回の地震で矢板市の水道給水源の貯水槽が破損して、修復に4月まで掛かるとのこと。吉岡君のところは修復された様子ですが、近所に住む娘さんのところはいまだに断水続きでWCも使えずお風呂も家族で吉岡君の所へもらい湯とのこと。  近況のお知らせでした。  

巨大地震

 投稿者:長岡平治  投稿日:2011年 3月22日(火)21時35分39秒
返信・引用
  石川様
 電話ありがとう
 地震による被害はありませんが、地震のあったときはあまりにも揺れて
 あわてたわけではないと思いますが本箱を押さえていたようです。
 その後は知り合い関係に電話をしたが通じずメールにしたら半日ぐらい
 後で送信されたようでした。
 日ごろ「のほほん」としているせいかあまりやくにたたないようです。
 なお現在はテニスをやっていますが動きが一段と鈍く周りに笑われて
 いますが怪我もせずがんばってます。
 

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